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”浦島花子”のイギリス日記 -6ー

『八月の金と緑の微風のなかで・・・』━帰国後初めて出掛けた演奏会。そこで演奏された三善晃作曲の『麦藁帽子』を聴きながら、私はこの夏過ごしたフランス・ソレムの風景を、そして輝く風や光を思い出しておりました。

 6月下旬、一旦イギリスを出た私はイタリアへと向かい、約2週間の間、イタリア各地の教会巡りをいたしました。【西暦2000年 大聖年】に向かって殆どの大教会が大掛かりなお化粧直しをする中、イギリスでお世話になっていた日本人シスターにご案内頂き、連日多くの教会を訪れることができました。このシスターは長い間ローマや北イタリアで学ばれ、「イタリアは私の第二の故郷!」と仰るだけあって、あちらの路地、こちらの裏通り・・・と水を得た魚のようにスイスイと歩き回り、私たち一行はギラギラと照りつける太陽の下、エアコン付きの観光バスを横目で見ながら蒸し風呂の様な市バスを乗り継ぎ、そしてひたすら歩き続け、夜は各地の修道院に泊めて頂く・・・という倹約旅行。しかしこの間、6月29日《使徒ペテロ・パウロの祭日》にヴァティカンの S.Pietro 大聖堂で行われたラテン語による [教皇ミサ] を始め、各地の教会でミサに出席するなど、超盛り沢山な、心に残る旅を満喫いたしました。

 ローマ、フィレンツェ、アッシジ、ヴェネツィア・・・、そしてパリに入った私は、いよいよ今回の遊学最後の地となった憧れのソレムへと進みました。ソレムでの暮らしについては、『ハーモニー秋号』でも少しお伝えいたしましたので、この紙面ではなるべく重複を避けたいと思いますが、入稿後に行われた“グレゴリオ聖歌指導者講習会”などを中心に、少しだけお話させて頂こうと思います。

 ソレムに行ってみたい!━グレゴリオ聖歌と言えば必ず出てくる地名“ソレム”。聖歌を学び、様々な体験を重ねる中、次第しだいにまだ見ぬソレムへの思いが募ってまいりました。幸いにも6週間(規則では最長4週間との事)に及ぶ長期滞在が認められ、念願のソレム行きが実現いたしました。しかし問題は滞在方法━「せっかく長期滞在するのだから、何らかの方法で学ぶ機会がないだろうか」と考え、イギリスでお世話になっていたマリー先生にご相談したところ、「とにかく行って、先ずあなた自身で感じてごらんなさい。その上でもし力になれそうな事が起きたら、いつでも連絡しなさい」というお返事。・・・それもそうだ!、と妙に簡単に納得し、とにかく出掛けてみることにいたしました。

 ソレムの夏は美しい!━正に『八月の金と緑の微風のなかで・・・』の世界。そして『蝶よりも 小鳥らよりも もっと優しい生き物たちが挨拶する』日々。━“浦島花子”にとっての“龍宮城”だったかも知れません。“時が流れる”そのこと自体が美しく感じられる・・・私にとって初めての体験でした。

 このソレムで、女子修道院のゲストハウスに泊めて頂き、早朝の賛課から夜の終課まで、毎日のミサと聖務日課に参加するため男子・女子両修道院を行き来し、その合間にこれまでイギリスで学んだこと、体験したことをゆっくりと反芻しておりました。

 そんな或る日、ふとしたことがきっかけとなり、男子修道院の合唱長と面談させて頂ける機会が与えられました。これは全く予期せぬ出来事で、たまたま滞在されていた英国人神父と雑談中、「もし、この滞在中に誰かに教えて頂く機会があれば嬉しい。」と軽い気持ちでお話しただけだったのですが、その神父から修道院の神父へ、そして合唱長まで話が届いたことによって実現した嬉しいハプニングでした。それにしてもゲスト担当のシスターから突然「今、サン・ピエール(男子の)修道院の合唱長から、明日あなたにお会いしたいという連絡が入りました。」と伝えられた時には、もう息が止まりそうになる程ビックリいたしました。しかしお会いしてみるととても優しく穏やかな方で(ソレム男子修道院の合唱長は、2年程前、Dom J. Claire から Dom D. Saulnierに替わりました)、私のたどたどしい英語による(フランス語での会話は全く不可能でした・・・)話や希望をじっくりと聞いて下さり、その時の話の流れから、8月下旬に行われる一週間の“グレゴリオ聖歌指導者講習会”への参加をお薦め頂きました。

 これは、グレゴリオ聖歌の研究に力を注いでいる各修道院の合唱長を対象としたものとか・・・。正に垂涎の催し物ですが、何と言っても他の参加者は生涯の全てを賭けた“専門家”ばかり。しかも使用言語はフランス語。そして当初の予定では8月下旬はフランス各地を旅行することになっており、列車やホテルも既に予約済・・・。暫く返事に困っておりましたが、合唱長の、「もし言葉が全く理解できなかったとしても、音楽を聴き、他の人たちの様子を見ているだけでも勉強になるのでは? そして何よりも、求められているのは理論の理解だけでは無く、音楽そのものの理解ですからね」という優しいお言葉に意を強くして、全ての予定をキャンセルし、遊学最後の時間をこの講習会に賭けてみることに致しました。

 そしていよいよ講習会当日━。修道者、しかも合唱長たちの集い。超ベテランの方ばかりだろうか? 講習中も沈黙を保たねばならないのだろうか?キチンとした姿勢や態度を終始保たねばならないのだろうか? 男子修道者の方々とも会話を交わして良いのだろうか? もし失礼があったらどうしよう? 講義を全く理解できなかったらどうしよう?・・・等々、これまでに無い不安を胸に、会場である男子修道院の集会場へと向かいました。

 開始時間が近づき、会場に黒や白の修道服・坊主頭やベール姿の修道者たちが続々と集まっていらっしゃいました。その数30数名━。 しかし思ったよりも若い方々ばかり(30代~40代前半が中心とか)・・・。しかもこの講習会が3年目ということもあり、男子も女子も互いに親しげに握手や挨拶のキスを交わし、早速あちこちで楽しそうなお喋りの輪ができました。それはまるで『弥彦』などの合宿合唱講習会、或いは学生指揮者講習会のよう! その様子に私もすっかりリラックスし、修道服の中に平服一人・・・という奇妙な取り合わせにも次第に慣れ、その雰囲気にも溶け込み始めました。

 講習は連日朝8時半から夕方7時近くまで。しかしその間にミサや聖務日課に参加する為(彼等の考え方では、ミサや聖務の合間に講習を受ける・・・となる)実際には毎日、旋法の講義が1時間、アナリーゼ(指導・指揮の実技を含む)に3時間、セミオロジーの講義に1時間、という内容になりました。また、講師としては、合唱長 Dom Saulnier の他に、パリ・グレゴリアン合唱団の指揮者 Jaan Tulve や、パリ・ノートルダム大聖堂の元指揮者でもあり、指揮者・ヴォイストレーナーとして活躍中の Serge Ilg の参加もあり、特にアナリーゼの時間には、Jaanが作品を解説し、実際に振り、受講生の指揮を指導する中、Saulnierから宗教的な意味や旋法などについての補足説明、時には Jaan への反論があったり、 Sergeが発声についてアドヴァイスしたり・・・と終始3人が入り乱れ、とても楽しく充実した講習となりました。

 勿論、私にはフランス語による説明は全く聞き取れません。しかし不思議なことに、私にとってこれほど音楽をダイレクトに感じ、講師が表現する音楽を心から理解できた講習会は無かったように思われます。他の受講者は、簡単な挨拶言葉しか言えない私が講義中に大きく頷いたり、笑ったり、何の不自由も無く歌ったり振ったりしていることをとても不思議に思い、「どうして理解できるのか?」と英語で尋ねてきました。その時私は答えました。「今の私は盲人と同じ・・・。少し視力があれば“見えにくい”“見えない”ことへの不安や不満を感じるが、全く視力が無ければ、最初から目ではなく聴覚など他の感覚に頼るだろう。 今の私も、言葉ではなく、音楽そのものを全身で感じ、心で聴き取ろうとしている」と。 本当に、このこと自体が得難い体験となりました。

 また、他の受講者の方々もとても素晴らしく、生き生きとした表情で熱心に受講され、活発な意見交換も行われました。そして私に対しても細かい心遣いをして下さり、講義中に「・・ページの・・段目」という指示があると、左右の席からサッと数字を書いたメモが出てきたり、急に話題が変わった時などには「今、彼は・・・について話し始めた」という英語のメモが回ってきたり・・・。

 1週間の講習を終え感じたこと━それは、“グレゴリオ聖歌が本当に伸びやかで豊かな音楽である”ことへの確信、そして“今のソレムは(少なくとも合唱長は)、以前私が『ソレム唱法』として学んでいた歌い方から大きく変化しようとしている”ことへの驚きでした。また声に関しては、“決して『独特』なものではなく、私が合唱団で求めているのと同じような、自然で素直な声、そして響きの良く整った母音で歌うことが要求される”ということも、ヴォイストレーナーや合唱長の指導から実際に学ぶことができました。そして何よりも、次代を担う若き合唱長たちがこれらについてじっくり学び、自分の修道院で実践しようとしている、ということを知りました。勿論、ソレムの聖堂で修道者の方々の歌を聴いていただけでは、これらの事は理解しにくかったかも知れません。何故ならカントール以外、一般修道者たちへの聖歌練習の時間は一週間に30分だけという話。 しかも、ベテラン修道者の多いソレム。合唱長の指導が全員に浸透するにはかなりの時間が必要でしょう。 あらためて、この講習会への参加をお許し頂けたことに心から感謝しております。

 また、期間中ある方から「以前、自分のチーフ合唱長が或るグレゴリオ聖歌講習会に参加した時、日本の女性指揮者も受講されていた。そしてその方が振った時、聖歌隊員は遠くに向かって伸びやかに歌い始めた。その時から、『日本の合唱指揮者は素晴らしい』と言っている。」というお話を伺いました。 私などにはとても及ばぬ世界ですが、同じ日本人として本当に誇らしく思い、また、私自身もしっかり勉強したいとあらためて心に誓いました。

 2カ月間の、夢のようなソレムでの暮らしにもピリオドを打ち、9月2日、いよいよ日本に帰国いたしました。今こうして2年間の出来事をゆっくりゆっくりと振り返りながら“いったい何を学んできたのかなぁ?”と考えています。━ケンブリッジでのカレッジチャペル聖歌隊の演奏に毎日のように触れ、特にトリニティカレッジでは Marlow 先生の凄いリハーサルの場に立ち合うことを許されたこと。 Rebecca Stewart先生のレッスンを受ける為にオランダまで列車で通った日々(彼女は1日8~9時間にも及ぶ個人レッスンの機会を何回も与えて下さり、発声を始め、グレゴリオ聖歌・オケゲム・ディファイなどの作品についてじっくりと教えて下さいました)。各地で受講した様々な合唱講習会。また、定期的に与えて頂いていたミサでのオルガン奏楽の機会も、典礼をより深く理解する為にとても役立ったと思います。そして何よりも、 Mary Berry 先生と学び、体験したグレゴリオ聖歌。それによって得られたソレムでの美しい日々━。

 しかし、それ以上にこの2年間で学んだことは、人々の優しさ。そして、一通の紹介状や推薦状も持たず、経歴や実績もわからず、言葉も不自由な、こんな裸の私をまっすぐに見つめ、信じ、しっかりと迎え入れて下さった人々の心の大きさではないでしょうか?

 そしてもう一つ。先日、Mary先生がご自分の半世を語ったインタビュー記事を拝見いたしました。 2~30代、戦争中は戦火から人々や教会を守ること、そして戦後は復興活動や子供たちの救済・教育をミッションとして過ごしたMaryが、本格的にグレゴリオ聖歌を学びたい、とケンブリッジ大学の博士過程に学び始めたのは40才近くの時。そして大学で教授を務めながら、もっと多くの人々にその素晴らしさを紹介したい、という願いで研究所を開いたのが50代とか・・・。 今年81才の先生は、今もなお子供のような好奇心と青年のようなバイタリティーを持ち、幾つもの企画を抱え、毎日、講演や演奏、資料集め、研究・・・とイギリス国内外を飛び回っていらっしゃいます。そしてその合間には庭に綺麗なバラを咲かせ、季節毎の色とりどりの草花を植え、 100年以上も前から伝わるレシピで様々なジャムを作り、パンやケーキを焼き・・と、美しい暮らしを楽しんでいらっしゃいます。

 また、彼女のアシスタントであり、私がお世話になった家主でもある Dorothy (彼女については前号で少し触れました) は、60才で年金生活に入ったのを機会に、この春から「教育学」を学ぶべく博士過程での勉強を始めました。昼間はMary先生のお手伝い、そして夜は遅くまで本を読み、コンピューターに向かう彼女。深夜、隣の部屋から響いてくるコンピューターの打音を聞きながら、“ここまで、彼女を駆り立てるものは何だろう?” “それを支える強い精神力はどこから来るのだろう?”と思いめぐらせ、お茶を運んであげるのが私の日課となりました。私の為に庭にジャポニカと桜の木を植えてくれた彼女。「あなたは私のゲストよ!」とステイ代を受け取って下さらなかった彼女・・・。

 身近に暮らしたこの二人の姿、生き方を通し、学ぶことがエンドレスであること、また何才になっても柔らかく、強い精神を保ち続けられること、そして本当の豊かさを求め続けることの素晴らしさを知りました。

 ソレムに着いた7月初旬。ゲストハウスの隣に建っている庭師さんの家の菜園には、何本かのトマトの苗に小さな青い実がなっていました。その家のご主人は女子修道院の庭の世話を、そして奥様は私たちの朝食のお世話をして下さる優しく素敵な方々でした。

 夏の夕暮れ、終課を終えて聖堂からゲストハウスへの帰り道、毎日、少し傾いた太陽を背に草花や野菜に水やりをしているご主人の姿をみつけ「ボンソワール ムッシュ」「ボンソワール マダム」と挨拶を交わすのが一日の締めくくりとなりました。 時には「この花が綺麗に咲いたから部屋に飾りなさい」(と言っているのだと思います)と小さな花束を作って下さることもありました。

 そして8月末、ソレムを旅立つ日━。ちょうど庭にいらっしゃったご主人に「私は今から帰る。飛行機で日本に帰る」と飛行機が飛ぶ姿を真似ながら説明し、お別れの握手とキスをいたしました。すると「ちょっと待て!」と菜園に入り、真っ赤に熟れた大きなトマトを一つ持ってきて下さいました。そして「列車の中か、今夜のホテルで食べなさい」と仰っているのか、そのトマトを大事そうに私に手渡して下さいました。

 ご主人が毎日水やりをし、心を込めて育てていらっしゃったトマト。その真っ赤に輝いている姿を手にしながら、両手一杯の重い荷物のことも暫し忘れ、何とも言えぬ幸せな気分に浸っておりました。その夜、パリのホテルで頂いたトマトの美味しかったこと・・!

 今はもう10月。ソレムではそろそろ落ち葉の季節でしょうか? ケンブリッジの川べりは今年も赤いポピーの花盛りでしょうか? いつも庭にやってくるリスたちはそろそろ冬支度を始めているでしょうか?

協会の先生方には、本当に力づけられ、助けて頂きました。出発前に頂いた多くのお餞別、暖かいお言葉。そしてイギリスやフランスへ嬉しいお手紙・・・! それから日本の楽譜やCD、本、プレゼント用の和風小物、日本酒やお正月料理、お粥や海苔・梅干しなどの和食、和菓子など・・・。その暖かい手紙の一通一通、心のこもった品物の一つ一つが、私を勇気づけ、私の心を柔らかく包んでくれました。

 皆様のご期待に沿える“遊学”であったかどうかは分かりません。しかし、この2年間私は、本当に素晴らしい人々と出会い、音楽に触れ、学び、その深さ・尊さを感じ、人々の優しさや愛の中でとても幸せな時を過ごすことができました。本当にありがとうございました。

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