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”浦島花子”のイギリス日記 -3ー

イギリスでは「Ms. ダイアナ 事故死!」のニュースが流れた頃から急に秋が深まり、日によっては、もう昼間から家のヒーターを入れるほどになりました。9月の最初1週間は流石にテレビも新聞もダイアナonlyとなり、お葬式当日の6日には、まるで戒厳令がしかれたかのような静寂のロンドン市内はもとより、「熱し難く、冷め難い」ここケンブリッジでも少し異様な空気が漂い、早朝のロンドン行きバスや電車が増発されると共に、市内の公園では大規模な追悼集会が開かれ、讃美歌の大合唱も行われました。
 しかしその1週間後、まだ献花の人波が絶えない「ケンジントン・パレス」のすぐ近くにある「ロイヤル・アルバート・ホテル」では、予定通り《PROMS 》(2カ月間に渡って開催されるロンドン名物の音楽祭)のラストコンサートが行われ、タクシードやドレス姿に《PROMS 》特製のfunny な帽子を被った青年“紳士淑女”たちや、ぬいぐるみの人形や指人形を高く掲げた老紳士淑女、イギリス国旗を振る若者達など思い思いの装いをした観客が、花吹雪や風船の飛び交うなか全員起立し、アンデュリュー・デイビスの指揮に合わせ、体を大きく動かしながらエルガーの「威風堂々」を歌い、歓声をあげておりました。またその様子は、あのお葬式の際多くの人々が集い、涙を流しながら大スクリーンに映し出されたウエストミンスター寺院での様子を見守った公園(ハイドパーク)に、同じように流され、その野外会場に集った何万人もの観客により、やはり熱狂的な雰囲気での盛り上がりを見せておりました。

 さて、この夏も世界各地で様々な音楽祭が催されましたが、イギリス国内、また近辺諸国でも興味深い音楽祭やワークショップが目白押しで、「あれも行きたい、これも覗いてみたい」と、スケジュール調整が大変な程でした。 しかし今年の夏はとにかく「合唱指揮」「グレゴリオ聖歌」「中世・ルネサンス」だけに的を絞り(・・・と言ってもかなりの広範囲ですが)その幾つかに参加してまいりました。
 その中にはこの夏から入会した【ABCD(イギリス合唱指揮者協会)】の集いや、ベルギーのアントワープで行われたオケゲム作品のワークショップなどもあり、これらは今後の私の活動に大きな影響を与えてくれそうです。本当はまだ湯気の立っているこれらのお話から進めたいところですが、モノには順序があるようで、まずは前回のお約束通り、こちらでの日常的な音楽活動や勉強について少しお話させて頂きたいと思います。

 イギリス到着後、すぐに語学学校の授業が始まりました。渡英前、英語学校で何ヵ月間か(しかし、さぼりつつ)学んだことや、普段からCDや楽譜英文解説の「いい加減読み」をしている為か、文法や英作文、読解はある程度まで可能でしたが、会話は殆ど全滅状態で、「筆談なら少し分かるけれど・・・」という惨めな状況となりました。「こんなことなら“未来完了進行形”や“仮定法過去完了”を学ぶよりも、電話の応答、お礼や挨拶、相槌のうち方など日常会話を学んでおくのだった・・・」と後悔いたしましたが、いつまでも嘆いている訳にはいかず、とにかく毎日せっせと学校に通いました。
 最初の2カ月近くは、学校の授業と宿題や予習のことだけで手一杯となり、とても自分の音楽活動を始められる状況ではありませんでしたが、渡英前より「半年ほどはケンブリッジに滞在して語学学校に通いつつ市内の一般合唱団に入り、少し慣れた頃ロンドンに移って本格的な演奏活動の現場で幅広い合唱音楽を学びたい」と考えておりましたので、しばらくの間は「予定通り」あれこれと合唱団を見て回りました。ただどれも「帯に短し、たすきに長し」に感じられ、しだいに「今は語学学習に徹し、なるべく早くロンドンに移ろう・・・」と考え始めておりました。
 しかしその間も日々のカレッジチャペル夕礼拝(英国教会:前回ご紹介したものです)と、近所のカトリック教会で行われる日曜ミサだけには欠かさず参加しておりました。
 ところで、そのカトリック教会ではラテン語・グレゴリオ(以下G)聖歌によるミサが行われておりましたが、何回か通ううちに、G聖歌集を持ち、会衆席に座っていながら聖歌隊よりも朗々と熱心に歌っている青年たちの存在が気になり始めました。「ひょっとしたら、市内にG聖歌を勉強できる所があるのでは・・・?」

━その勘は的中し【Schola Gregoriana of Cambridge】の存在がわかりました。それは Dr.Mary Berry女史主催の演奏・研究機関で、多くのCDや演奏会での演奏活動と共に、年に何度か教会音楽家や一般市民を対象としたワークショップを実施するなど、精力的な活動を続ける研究所でした。 Dr.Mary は若い頃から修道女として祈りの生活をされている方ですが、長年にわたってケンブリッジ大学教授としてご指導・研究を続けてこられ、1975年にこの研究機関を創設されました。今年80才ですが全く年齢を感じさせず、滲み出る優しさと共に、常に子供のような探究心と好奇心を持ち、青年のような志を保ち続けるスーパーウーマンです。

 11月の下旬から Dr.Maryとの個人授業が始まりましたが、最初2~3回の「聖歌の概要説明」がなされた後、まず【旋法】の話に入りました。
 【旋法】の勉強では毎回1旋法ずつ進み、授業ではいろいろな例を上げながらその特徴などについての詳しい説明がなされましたが、宿題としてその旋法の聖歌80~ 100曲がピックアップされ、その歌い出しや終止形、特徴ある音型を譜面に写し、パターンをまとめ分類する・・・という課題が出されました。そして次の授業ではその結果を見せながら説明をし、気づいた事などを発表・質問した後、次の旋法についての説明を受ける、という形で進められて行きました。
 当然その曲の内容や意味、教会暦の中での用いられ方などについても理解せねばならず、来る日も来る日も、早朝から深夜まで (学校も休みがちになりながら) 大量の譜面書きとラテン語・英語・日本語の聖書や辞書、典礼解説書などを繰り続ける生活が始まりました。
 「自分の体で覚えなさい」が口癖の Dr.Maryは、とにかく音符一つ一つを自分の手で写すことを勧められ、私もその言葉に従って、8つの【旋法】が一通り終了するまでの約3カ月近く、これまでの人生の中でこれほど譜面を書いたことがないという程の体験を致しました。 しかしこうして学ぶ間に、それぞれの〔音〕が持つ性格・役割、エネルギーを感じると共に、限られた音域の中で〔音〕が自分の存在を確立し、読み手に対して一生懸命アピールしている姿に出会う喜びも知りました。

 その後【キロノミー】へと授業は進み、やはり大量の譜面書きと共に、キロノミー曲線やフレージング、ディナーミクを書き込んだ譜面を作り、Dr.Mary を相手に歌いながら指揮をする、という課題が与えられましたが、それぞれの音型やフレーズの処理について彼女の意見と異なると、お互いに納得の行くまでその根拠についてディスカス(この私の貧しい英語で!)せねばならず、これも私にとっては貴重な勉強となりました。 また、指揮に対しては「その手の動きによって、相手にどのようなエネルギーが生じることを望んでいますか?」という質問や、知らず知らずのうちに大振りになった時の「気持ちをしっかりコントロールして!」「あなたのエネルギーが逃げている!」というご注意は、グサリ!と私の心の奥深くまで突き刺さり、キラリと輝いています。
 もっともっとじっくりと学びたいところですが、私の滞在期間にも限りがある為、この夏あたりからは【ネウマ】、そして今後の音楽活動の為にと【定量譜の読み方】を学ばせて下さり、引き続き譜面書きと、歌や指揮の練習に追われる日々を送っております。またミサや聖務で聖歌を歌う機会も多く与えて下さり、私も先輩の方々に混じって長いローブを着て、儀式の中での歌を体験させて頂いております。

 「少し、聖歌が歌えるようになれば・・・」という気持ちで始めた Dr.Maryとの勉強でしたが、いま私が学ぶべき音楽の本質を、ダイレクトに掴み、大きく揺さぶる勉強であることが判り始め、もうケンブリッジを離れられなくなりました。そして、これらの日々を送る中から、《学ぶ》という意味を少しずつ知ると共に、これまで接してきたいろいろな「ミサ曲」「Ave Maria 」「Ave verum Corpus」・・・など、私の中でバラバラに散って浮かんでいたものが、だんだん《一本の軸》に集まり始めているのを感じます。
 渡英当初、「少し慣れたら、優秀な演奏団体の音楽現場近くで学ぶと共に、指揮する場を求めてワークショップやコンテストなどを受けて回ろう」と考えておりましたが、今、ケンブリッジの青く澄んだ空気の下、地味で、即効性はないかも知れない勉強を日々続けながら、「これこそ、私が学びに来た本当の目的だったのかも知れない・・・」と思い始めております。

━次回は、この夏のいろいろな音楽祭や、【ABCD】の総会はじめ幾つかのワークショップについてご報告したいと思います。いよいよ秋のシーズン到来・・・!  皆様のご活躍をお祈りしております。

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