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”浦島花子”のイギリス日記 -5ー

もう、このまま夏になるのでは・・・と錯覚してしまうほど暖かかった“冬”の後、4月、5月の Cambridgeでは寒風吹き荒れ氷雨舞う日が続きました。6月の声を聞き、だいぶ暖かくなりましたが、天気予報にはまだ“Cold, Cool" の文字が並び、まだまだ冬のコートを手放せないような日が続いております。 日本は如何でしょうか?

 さて、イースターに向けての準備がなされる四旬節、特に聖週間が近づいてくると、あちこちのカレッジチャペルから“ Allegri作曲 Miserere,mei " が聞こえてまいります。最初のうちは各聖歌隊ソプラノソロによる見事な“ハイC”に感動しておりましたが、こう度々、しかも延々と聞かされ続けると少し食傷気味。モーツァルトならぬ私でも聴いているだけで暗譜できそうな気が・・・。 (“気がする”だけかも?)

 “たびたび”ついでに・・・。このところ何故か“Tallis作曲 Spem in Alium" の演奏される機会が多く、市内だけでもこの2カ月で3団体の演奏会がございました。40声部のこの作品━昨年の一時帰国の折り【Tokyo Cantat】のラストコンサートで聴いた、George Guest指揮、期間中の参加者全員による感動的な大演奏がまだ心に残っておりますが、こちらでの演奏は昨年から聴いているものも含め、全て40名、あるいは40数名前後の演奏者によるものです。 一人一人の線がくっきりと聞こえ、マスによる感動とはまたひと味違った面白さを感じる演奏から、時には「お~い、音はどこへ行ったの~?」という演奏まで、そのレベルは様々━。そういえば今年の【Dartington Summer School】合唱コース1週目にはこの曲も課題曲になっているようですね。

 ついでにもう一つだけ・・・。今年はシスターの作曲家 Hildegard von Bingen の生誕900 年とかで、ブーム作りを意識してか、CDショップの店頭には彼女作曲による聖歌が次々と並ぶようになりました。カレッジチャペルの礼拝でも時折歌われますが、グレゴリオ聖歌(以下、G聖歌)とは一味違った起伏の多い(時に、激しい)メロディー、オリエントを思わせる節回しや“こぶし”等、私の回りにはけっこうファンが多いようです。日本ではどう受けとめられているのでしょうか?

━前置きが長くなりましたが、今回は聖週間・復活祭の体験をご報告いたします。私がG聖歌を学んでいる Dr Mary Berry主宰による《Schola Gregoriana of Cambridge》では今年もこの期間中《The Holy Week Song school 》が開かれ、【枝の主日】から【復活の主日】まで、日々のミサや諸典礼を始め、朝課、賛課、三時課、六時課、九時課、晩課、終課の各聖務日課が、聖書朗読を含むその全てをラテン語、及びG聖歌により執り行われました。〔━聖歌集 Liber Usualis; 579ページから784 ページまでのほぼ全部プラスα、とご想像下さい。なお、各聖務日課はじめ種々の典礼用語等に関して、このリポートでは字数節約の意味もありなるべく日本語訳を用いますが、特に音楽関係者に馴染み深いと思われる第二ヴァチカン公会議以前や、より分かり易いと思われる呼び方で記させて頂くことをお許し下さい。━〕

 この聖週間の間、【枝の主日】から水曜日まではMaryの家のチャペルで、そして木曜日以降は場所を Cambridge郊外のカレッジのチャペルに移し、参加者全員が長いローブを身に纏い、高いスティンドグラスの窓から差し込む陽の光・月の光に感動しつつ、とても厳かな気持ちでご復活までの聖なる3日間を過ごすことができました。

 「参加者全員」と言っても、特に今年は、 "カントール(先唱・独唱者)を務める人" を基準に参加を指名された為、全員揃っても、女性はMaryのアシスタントを務めるベテラン2名と初心者2名(ブルガリアから初参加の20代の女性指揮者……彼女は東方正教会の聖歌隊も指揮しています……と私)、そして学生時代からずっとMaryのもとで学んでいる男性5名の歌い手だけになった上、見学者等もお断りした為、広々としたカレッジのチャペルを僅か10名足らずだけで使用する、という信じられないような贅沢をさせて頂くことができました。

 また今回は CambridgeやOxfordの博士過程等で勉強中の若い神父の方々も参加され、ミサ司式を始め、様々な場面を担当されました。「ハーモニー夏号」でも少しふれましたが(このコンタクトの発行の方が早い?)、この国の少し大きな街にあるカトリック教会では、英語のミサと共に、今でもラテン語ミサが毎週行われております。また、ラテン語ミサを推進する為の団体もあり、多くの神父様が参加され、典礼や聖歌について学び、情報交換の場となっているようです。今回、参加された神父様もそのような環境の中で学ばれている方々ですが、そんな彼等にとっても、このような聖週間のプログラムはなかなか体験できないことらしく、各典礼前の私たちの練習にも積極的、且つ真剣に参加されておりました。そして私達と同じようにMaryからの注意や容赦の無い叱責を受けたり、その合間には、控室や廊下の隅でラテン語による聖書朗読 (朗唱) や聖歌を必死になって練習されるなど、その姿にとても親近感を覚えると共に、ラテン語・G聖歌による典礼がしっかりと次代の聖職者の方々に伝えられていく現場を見る思いがいたしました。

 さて、【枝の主日】━。 この日はこれまでのポカポカ陽気とは打って変わって、時おり霧雨の舞うイギリスらしい寒い日となりました。静かな緊張感と期待感の漂う中、喜びに満ちた[Hosanna filio David] の交唱・詩編唱によって始まった《枝の祝別式》は、《枝の配付》、マタイ福音書の朗唱、ローズマリーや柳の枝を手に幾つかの交唱や賛歌を歌いながらの《枝の行列》へ、そして、チャペルでの厳かなミサへと導かれました。
 月曜日から水曜日までの3日間は、それぞれの日のミサ、賛課から終課までの聖務日課と共に、木曜日から土曜日にかけて行われる《テネブレ》と呼ばれる朝課、そしてミサ等の打合せ・練習が行われました。特にこの間のミサでは、【枝の主日】のミサで行われたマタイ福音書の朗唱のように、マルコ、ルカの福音書の受難物語が、司祭・助祭・待者によって、それぞれキリスト・福音史家・その他に分かれて静かに朗唱されました。
 【聖木曜日】からの3日間は、それぞれ早朝の《テネブレ》で一日が始まりました。交唱、詩編唱、「エレミアの哀歌」「新約の書簡」等の朗唱、そして応唱、と続く中、聖壇に灯されたろうそくが一本ずつ消され、いつしかチャペルは元の闇の世界へ・・・。私も私も連日、幾つかの先唱と「エレミアの哀歌」の朗唱をさせて頂きましたが、特に「エレミアの哀歌」では、チャペル中央にある聖書朗読台から響き出る自分の声が、天井高く立ちのぼり、チャペル内にゆっくりと拡がっていくのを感じ、言葉には言い表せぬ喜びを味わいました。その時 Mary が仰った「チャペルに居る人々の心に、言葉の意味と心を刻み込むように。そしてチャペルの上、はるか彼方にいらっしゃる方には、あなたの心が届くように。」という言葉は、これからも私の課題となり続けることでしょう。
 【聖金曜日】は朝から氷雨降る薄暗い日となりました。この日はミサに代わって、キリストの死を記念した《主の受難の祭儀》が行われますが、午後3時、「さあ、今から始まる・・・」という丁度その時、突然カミナリが大きく鳴り響きました。そしてそれと同時に、何処から入ってきたのか、全く季節外れの色鮮やかな大きな蝶が一匹、ふわりふわりとチャペルに現れ、聖歌隊席の回りをゆっくりと舞い始めました。━暫くの間チャペルは深い静寂に包まれました。━言葉の一つ一つが、自分の心の襞の隅々まで染み込んでいくのを感じながら歌ったこの日の〔Christus factus est 〕・・・。忘れ得ぬ曲となりそうです。
 【聖土曜日】。やはり《テネブレ》から始まったこの日、幾つかの聖務日課を経て、私たちはいよいよ《復活徹夜祭》の時を迎えました。祭儀に先立ち、寒風吹き荒れるカレッジの庭で行われた《光の祝福》、大きな“復活のろうそく”を先頭に真っ暗な廊下を歩いたチャペルへの《光の行列》・・・。そして3度目の〔Lumen Christi 〕への応答後、一人一人のろうそくに次々と火が灯され、チャペルは「テネブレ;暗黒」から「光の世界」へと変わりました。

 〔Resurrexi 〕の入祭唱で始まった【復活の主日】日中のミサ━。聖なる深夜の長大なドラマ《徹夜祭》を終え、充実感溢れる心地よい疲労感の中、この聖週間の出来事をもう一度振り返りながら、穏やかで深い喜びを秘めたこの聖歌を歌う時、「嬉しい! 楽しい! おめでとう!」のクリスマスとはまた一味違った、静かな心の平安を伴う喜びを覚えました。

 その中の1日だけを取ってもこの紙面ではとても収まらない程、豊かな内容と深い感動に満ちた聖週間━。字数の制限もありますが、それ以上に、しっかりお伝え出来ない文才の無さが悔やまれます。どうか皆様の豊かな想像力で補って頂きながらお読み頂けますよう・・・!!

 基本的な全体の流れとして《Liber Usualis 》の聖歌集を用い、古楽譜記号の付いている聖歌は《G.Triplex》を使い、ミサの奉納唱は《Offertoriale Triplex》によって詩編を加えて歌い、聖務日課では時折り《Antiphonale Monasticum》も使い、ラテン語・ヘブライ語・英語の聖書で内容を確認し・・・と、聖書朗唱用の楽譜も含め、常に数冊の本を取っ替え引っ替え使っての大忙しの一週間でしたが、早朝から深夜までこれらの典礼に実際に参加しながら、身も心もじっくりと聖週間の音楽に触れ、これまで多くの作曲家によるモテット等で親しんできた【聖週間の音楽】の、その "ふるさと" を静かに訪れた思いがいたしました。

━この約一年半の間、グレゴリオ聖歌を一つの窓口として、典礼音楽を実際の場に即して学ぶと共に、日々の食生活や生活習慣・行事などを通して“生きた”教会暦を体験することができました。特に昨年の12月からお世話になっているお宅の家主は、20数年間英国教会のシスターとして修道生活をされ、修道院聖歌隊の指揮者も務められた方。Maryとの出会いがきっかけとなって10年前にカトリックへ転向し、現在は彼女のアシスタントをしていらっしゃいますが、特に私が滞在させて頂くようになってからは、ラテン語による日々の晩課や終課、そしてミサ(レクイエムも含め)を始め、待降節、クリスマス、公現祭、主の洗礼、主の奉献、灰の水曜日からの四旬節、復活祭、昇天祭、聖霊降臨、三位一体、聖体祭、聖心祭・・・といった暦に合わせ、それぞれの典礼、行事や習慣をMaryのご指導のもとで体験できるよう、多くの場を作って下さっています。それによって、少しずつではありますが、これまで知識としてのみ理解していた宗教音楽の言葉や内容が、実際の形を伴い、体温のあるものとして感じられるようになってまいりました。

 これまで、いろいろな机上の勉強、そして自分自身がクリスチャン(プロテスタントでしたが)である、ということへの妙な意識や甘え(ノンクリスチャンの人よりも多少理解し易いのでは?・・・という勝手な思い込み)も手伝って、何となく近い関係にあるような錯覚に陥っていた【キリスト教会音楽】でしたが、この地でこうした日々を過ごしながら、自分の中で少しずつ整理され共感が深まりつつあるのを感じると共に、その途轍もない巾の広さと奥の深さを意識し始めております。しかしそれと共に、いま現在も含め、これまで殆ど何も理解していなかったこと、そして、分からないままに指導し、演奏していたことへの恥ずかしさと深い後悔を感じます。━これから学び、体験すべきことの膨大さを思い、この学びが正にエンドレスであることを痛感しております。勿論、これから私がグレゴリオ聖歌や教会音楽の専門家を目指し、今後その分野で活動する、という訳ではございません。また、そんな簡単に習得できる内容ではないと充分承知しておりますが、これからも様々な合唱音楽を研究し、その指揮・指導にあたることを望む以上、この学びは不可欠な事として続けることになるでしょう。 少なくとも私の場合は・・・。

 早いもので、私の遊学もあと僅かとなりました。船便用の荷造り準備も始まり、ついに帰国用の航空券も予約いたしました。しかしその前にイタリアの教会巡り、そしてフランス・ソレムを訪れたいと思っております。ソレムではサン・ピエール修道院の前にある、同じくベネディクト会の女子修道院にお世話になり、約1カ月半の間、男子・女子それぞれの修道院でのミサや聖務日課に与り、典礼音楽の実際に触れると共に、私のこの2年間の体験や勉強、今後の活動についてじっくりと考え、まとめる時を持ちたいと願っております。

 9月2日に帰国予定・・・。次回でこのシリーズも最終回となります。もう一度だけご辛抱下さい。
━小川の流れる村(Melbourn), 果樹園通り(Orchard Road) 51番地の みゆきより 

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