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”浦島花子”のイギリス日記 -1ー

ケンブリッジは今日も雪模様です。10数年ぶりの寒波到来ということですが、茶色い煉瓦造りの建物が立ち並ぶ落ちついたこの街には、この景色もよく似合います。
 日本を発ってから約3カ月半。バタバタと「遊学準備」をしていた日本での夏がもうはるか昔のように思われます。
 渡英前より協会から「紀行文を書け」との命を受けつつも延び延びになっておりましたが、やっと心身共に落ちつき、遅ればせながらもペンをとらせて頂くことに致しました。原稿依頼書には一応『連載』とありますので、紙面の制限もあり、今回はひとまず渡英に至るまでのお話にとどめたいと思いますが、「こんな内容ならもうエエわ……」と担当理事よりストップがかかるやも知れません。その時は、肝心な内容に触れられなかった責任を感じつつ、次回コンタクトに『投稿!』という形をとってでも、是非皆さんにイギリスでの音楽体験をお知らせしたいと思います。

 さて「遊学」を思い立った一昨年夏より、多くの方から頂くご質問は『どうして今?』『どうしてイギリス?』『イギリスでどのように勉強するの?』『お金はどうするの?』『いま指導している合唱団はどうするの?』『協会や合唱連盟での仕事は?』『帰国後の仕事や生活は?』……というものでした。しかし答えられたのは『行くのはもう今しかない、と思ったから』『イギリスの合唱文化に浸りたいから』という事だけ。後は何の目処も保証も無い無謀な計画でした。
 なぜ「今」と思ったか……。それは幾度となく押し寄せてくる波や風のようなもの。これまでにも、この波に、この風に身を任せてしまおうかと何度も迷い、しかし決心がつかず今に至っておりましたが、今度の風には乗れそうな予感がし「これしか無い!」と自分の勘を信じてみたいと思いました。
 なぜイギリスか……。ご存じのようにイギリスには世界屈指の合唱団が数多く在り、ルネサンス音楽など古い作品に於ける新しい解釈、演奏のみならず、現代の作品に関しても何かが常に生まれ、躍動している国と感じておりましたが、しだいに、私の中で、その演奏や練習の場に直接多く立ち合ってみたい、それらが育った土壌・文化に触れてみたい、という気持ちが強く芽生えてまいりました。

 そんな折も折。【海外の大学に於ける合唱指揮科の実態と指導内容】を調べる機会が与えられ、留学経験者の方々からのお話や、主な国の大学案内から情報をまとめることになりました。そしてドイツ、オーストリア、ハンガリー、フィンランド……と進める中で、幾つもの大学・大学院に合唱指揮科があり、博士課程まであるアメリカと、これほど合唱水準の高い国でありながら合唱指揮科の存在しない(もしかすると国内のどこかの街にあるかも知れませんが)イギリス、という両極を発見し、そんなイギリスに対してとても興味を抱きました。
 イギリスにお詳しい有村祐輔先生に伺うと、『イギリスでは指揮法というよりも、幼少よりカレッジチャペル・教会で〔ケンブリッジのキングスカレッジ、セントジョンズ、トリニティカレッジ。オックスフォ-ド のクライストチャーチ、モードリアン、ニューカレッジ始め高水準の演奏で世界的に有名なカレッジ、教会が多数ある(補;ミユキ)〕 合唱音楽に長い期間に渡って広く親しみ、数多くの演奏体験を積むので、実践を通して演奏法、指揮・指導方法を学ぶことができる。〔キングスカレッジの少年聖歌隊員の例では、全員が寄宿生活をし、週26時間の合唱練習と毎日1時間程の礼拝での合唱、しかもその曲はルネサンスから現代曲に及ぶ日替わりメニューであり、更に2種以上の楽器習得が義務付けられている。この他にも単独の演奏会や演奏旅行、レコーディングもあり、このような生活が何年間も続く。(補;ミユキ )〕 更に、古楽の研究が盛んで、記譜法や演奏法の研究を通して、より深い作品研究ができる』とのこと。ますます興味がわき、思いが募ってまいりました。そして、「よし!、やはりイギリスに行こう!!」と決め、準備にとりかかりました。

 さて、先ず気になるのはお金。これまで「頂く報酬は研修・活動費(飲み代を含む)」と考え右から左へ使っておりました為、自慢ではないですが蓄えは全く無く、かと言って財団等の奨学金を貰うには年齢・実績・語学力・受け入れ先不備の為それも叶わず、最後の手段として、万一の時の為の傷病保険や年金保険を解約すると共にできる限りの借金をし、更に多くの方々からお餞別を頂戴し、(「頑張って勉強して戻ってこい」という方と「もう帰ってくるな~!」という方も含め)何とか1年余の滞在・研究費を作りました。このあたりは、何といっても、養うべき《夫子》の無い強みでしょうか。
 次に仕事。協会や東京都合唱連盟などのお仕事に関しては「申し訳ございません。私のわがままをお許し下さい。」としかお願いの仕様がなく、継続事業などに関しても本当に無責任な事とは思いましたが、それぞれの理事の方々から暖かいご理解を頂戴して、ラインから外れさせて頂くことになりました。
 また、10団体程あった定期・不定期の指導合唱団や自治体等の合唱事業などに関しては例え1年、1年半とは言え『帰国後、留守を預けた指導者や団との関係が難しい』『待たされる側で、しだいに義務感や無理強いが出てくる』という事が懸念されると共に、自分自身の気持ちを整理する為にも全ての関係を一時絶ち、新しい指導者や、希望者には相応しい合唱団を紹介し、あるいは、メンバーがより自由に今後の選択ができるよう団を解散し……となることを願いました。しかし、それはなかなか難しいことでした。変な譬えで恐縮ですが、それは、共に将来の夢を語り合い、とても上手くいっている夫婦の間で片方が急に「ごめん!あなたには何の不満も無いけれど、私にはしたい事があるのでここでお別れしましょう!」と宣言するようなものでしょうから……。当然、幾つかの合唱団で大混乱が起き、いろいろな人間模様を見ることにもなりました。それでもそれぞれの団員と共に何度も何度も話し合いを重ねるうちに、少しずつお互いにとってより良い方向を探り、みつけることができたようです。
 また、これまで個々の仕事を頂くことや新しい機会を頂くことによって学び、体験し、収入を得ていた日々から一転し、新規でお話を頂く素晴らしいお仕事や、これから長期で取りかかろうとするプロジェクトへのお誘いを頂きつつもお断りせねばならない、という辛さも味わいました。これは私にとって、とても貴重な体験となることでしょう。

 そして肝心な受け入れ先。これに関しては、先に述べたようにこの国には「◯◯大学合唱指揮科」というものが無い訳ですが、世の常として、留学するからには「◯◯音楽大学」という機関に身を置いた方が何かと良いのでは……という思いもあり一時はいろいろな在学方法を調べたこともございました。しかし私の語学力と滞在目的からはどうしても相応しい方法が見つからず、先ずはケンブリッジのカレッジ聖歌隊活動に間近に触れる事を生活の基本とし、その上でイギリスの合唱活動に触れつつ自分の活動方法をみつけていく、ということを目標とし、「語学学生」として入国することにいたしました。
 こうして、音楽面での受入れ先も無く、帰国後の仕事や生活の保証も全く無く、返す当ての無い多額の借金を作り、中学 1~2 年程度の英会話力と、6カ月間の語学学校入学確認書、そして学校で紹介されたホームステイ先の住所だけを持っての、無謀な『遊学』が始まりました。

そして3カ月余り。 いま私は、心優しい人々に囲まれながら、カレッジと教会が立ち並び、芳醇なチーズかワインのような円やかで深い落ちつきを持ったこの街で、キングス、セントジョンズ 、トリニティといったカレッジ礼拝の「はしご」を日課とし、時々はロンドンでの演奏会にでかけ、月に一度ほどロンドンの教会でのミサでオルガンを弾かせて頂くと共に、『The Schola Gregoriana of Cambridge』で Dr.Mary BerryのもとにG聖歌の勉強をする機会が与えられました。日々その大量な宿題をこなすことに汲々としつつも、じっくりと腰を落ちつけて音そのものと向き合える喜びをひしひしと感じております。
 次回、もしお許し頂ければ、カレッジ聖歌隊はじめ日々の音楽体験についてお伝えしたいと思います。………予定より遥かに字数オーバーをしてしまいました。すみません。

                1月10日 ケンブリッジにて

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