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”浦島花子”のイギリス日記

  2年間の「合唱遊学」【“浦島花子”のイギリス日記 1~6 】をご覧下さい。

  日本合唱指揮者協会発行の会員向け情報誌〔コンタクト〕に連載致しましたものを、協会のご好意により、転載させて頂きました。

  なお、ご興味をお持ちの方は、および全日本合唱連盟発行「ハーモニー」'98 夏、秋 '99 冬号の【イギリス遊学 顛末記 前編・後編・オマケ編】も合わせてお読み下さい。

”浦島花子”のイギリス日記 -1ー

ケンブリッジは今日も雪模様です。10数年ぶりの寒波到来ということですが、茶色い煉瓦造りの建物が立ち並ぶ落ちついたこの街には、この景色もよく似合います。
 日本を発ってから約3カ月半。バタバタと「遊学準備」をしていた日本での夏がもうはるか昔のように思われます。
 渡英前より協会から「紀行文を書け」との命を受けつつも延び延びになっておりましたが、やっと心身共に落ちつき、遅ればせながらもペンをとらせて頂くことに致しました。原稿依頼書には…

”浦島花子”のイギリス日記 -2ー

6月のケンブリッジは濃い緑と眩しい太陽の光に包まれています。 街の中心を少しだけ離れるとあちこちに草原が広がり、たくさんの羊や牛、馬たちがのんびりと草を食んだり走ったりしています。 そしてその草原や街並みを縫うようにしてカム川(River Cam :Cambridge の地名はここから来ているとか……) が流れ、広大なカレッジ群の裏庭へと続きます。
 ご存じのようにイギリスを代表する2大学:ケンブリッジ大学とオックスフォード大学は……

”浦島花子”のイギリス日記 -3ー

イギリスでは「Ms. ダイアナ 事故死!」のニュースが流れた頃から急に秋が深まり、日によっては、もう昼間から家のヒーターを入れるほどになりました。9月の最初1週間は流石にテレビも新聞もダイアナonlyとなり、お葬式当日の6日には、まるで戒厳令がしかれたかのような静寂のロンドン市内はもとより、「熱し難く、冷め難い」ここケンブリッジでも少し異様な空気が漂い、早朝のロンドン行きバスや電車が増発されると共に、市内の公園では大規模な追悼集会が開かれ、讃美歌の大合唱も行われ……

”浦島花子”のイギリス日記 -4ー

1月には東京にも大雪が降ったとか・・・。  皆様いかがお過ごしでしょうか。有り難いことにイギリスでは年明けからとても穏やかな日が続き、昼間は重いコートが邪魔に感じられる程の暖かさです。 ここケンブリッジでは少し気の早い桜の木が可愛いピンクの花を咲かせ、日本の春を思い出させてくれます。 このまま春になるといいのですが・・・。

 さて今回は、昨年夏に参加した【ABCDの集い】についてご報告したいと思います。“ABCD”は Association British Choral Directors 、つまり “イギリス合唱指揮者協会” といった……

”浦島花子”のイギリス日記 -5ー
もう、このまま夏になるのでは・・・と錯覚してしまうほど暖かかった“冬”の後、4月、5月の Cambridgeでは寒風吹き荒れ氷雨舞う日が続きました。6月の声を聞き、だいぶ暖かくなりましたが、天気予報にはまだ“Cold, Cool" の文字が並び、まだまだ冬のコートを手放せないような日が続いております。 日本は如何でしょうか?
 さて、イースターに向けての準備がなされる四旬節、特に聖週間が近づいてくると、あちこちのカレッジチャペルから“ Allegri作曲 Miserere,mei " が聞こえてまいります。最初のうちは各聖歌隊ソプラノソロによる見事な“ハイC”に感動しておりましたが、こう度々、しかも延々と……
”浦島花子”のイギリス日記 -6ー
『八月の金と緑の微風のなかで・・・』━帰国後初めて出掛けた演奏会。そこで演奏された三善晃作曲の『麦藁帽子』を聴きながら、私はこの夏過ごしたフランス・ソレムの風景を、そして輝く風や光を思い出しておりました。
 6月下旬、一旦イギリスを出た私はイタリアへと向かい、約2週間の間、イタリア各地の教会巡りをいたしました。【西暦2000年 大聖年】に向かって殆どの大教会が大掛かりなお化粧直しをする中、イギリスでお世話になっていた日本人シスターにご案内頂き、連日多くの教会を訪れることが……
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