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”浦島花子”のイギリス日記 -2ー

6月のケンブリッジは濃い緑と眩しい太陽の光に包まれています。 街の中心を少しだけ離れるとあちこちに草原が広がり、たくさんの羊や牛、馬たちがのんびりと草を食んだり走ったりしています。 そしてその草原や街並みを縫うようにしてカム川(River Cam :Cambridge の地名はここから来ているとか……) が流れ、広大なカレッジ群の裏庭へと続きます。
 ご存じのようにイギリスを代表する2大学:ケンブリッジ大学とオックスフォード大学は各々40前後のカレッジの集合体から成り、学生たちはそれぞれの特色あるカレッジで勉強、活動、生活をしています。 また各カレッジにはチャペルがあり、専属のオルガニストと聖歌隊を持ち、日々の礼拝と共にその幾つかは国内外での演奏会、録音など活発な活動が続けられています。それらの中でも特にケンブリッジのキングズ、セントジョンズ、トリニティ、クレア、そしてオックスフォードのクライストチャーチ、モードリン、ニューカレッジなどはその高水準の演奏と輝かしい歴史を持つ優秀な聖歌隊として有名です。
 Chorister と呼ばれる彼らの生活については前回のコンタクトで少し触れましたが、7~8才の頃Chorister として入学する為に、彼らの多くは幼い頃より歌や楽器の厳しい練習を重ね、入学後は普通の生徒としての学習や活動の他に、寄宿生活を送りながら日々の礼拝での演奏と準備、ソルフェージュや歌の基礎訓練、そして楽器のレッスンやアンサンブル……といった毎日が続きます。「礼拝での演奏」と一言で言ってしまうと簡単そうですが、何といっても約1時間の礼拝中、聖歌、カンティクム、ヒム、アンセム……と聖書朗読以外は殆ど歌い通しの彼らです。 そして多い所ではその礼拝が週7~8回あり、しかもその中で歌われる曲はグレゴリオ聖歌から現代作品まで、幅広く膨大なレパートリーの中からの日替わりメニューです。
 イギリスには大学カレッジや大聖堂に属したChorister の為の学校 (合唱学校) が約40校あるそうですが、規模やレベルに多少の差があるにせよ、何世紀も前から現在に至るまで毎年毎年これらの学校から多くの優秀なChorister が育っているという現実に、イギリスに於ける合唱活動の奥深さ、水準の高さをみる思いがいたします。
 先日、その中の一つであるケンブリッジの「キングズカレッジスクール」に伺い、合唱の練習風景や楽器の演奏などを拝見いたしましたが、先生方の効率の良い練習と共に、子供たち自身の、音楽に対する、そしてChorister としての高いプライドと強い責任感を感じました。 また、日々の演奏活動の場でもあるチャペルで行われた楽器演奏では、見上げるような高い扇形の天井の下で、豊かな残響をも自分の響き・音楽としてとらえ、正に空間と一体となっての彼らの演奏に強く心を動かされました。
 これらChorister たちが、変声期を終え、将来カレッジや大聖堂の成人聖歌隊員として活躍できる約束や保証は何もありませんが、参考までに現在のキングズカレッジ学生メンバーを例にとると、彼らのうちの殆どはかつて何処かのChorister としてのキャリアを持っています。

 一方カレッジの学生聖歌隊メンバーはChoral schalar(ケンブリッジ大学では)と呼ばれ、やはり特別なオーディションによって選ばれますが、彼らは音楽学部(とは言ってもここでの“音楽学部”は器楽や声楽専攻では無く、音楽学や作曲理論を学ぶこと)をはじめ文学や経済など様々な学部に属しているカレッジの学生です。
 彼等は礼拝での演奏活動を音楽生活の基本としていますが、特にメジャーな聖歌隊はこの他にも独自の演奏会や録音を度々行うと共に、各聖歌隊合同による演奏会や、大学の音楽ソサイティ-による演奏会などにも積極的に参加し、時には同じメンバーが週末2日間の間に礼拝を含めて4~5回の演奏の場に参加する……という場面にも出会います。
 それぞれ、少年聖歌隊員との合唱、男声合唱、混声合唱とその演奏形態も異なり、勿論プログラムも異なりますが、その一曲ずつが「私の合唱団だったら、音取りから始まり、何ヵ月もの練習が必要だなぁ」と思うような曲ばかりです。 それらの曲を平然と、しかも見事に演奏してしまう彼等……、当然厳しいであろう学業との両立の上に立ったこれらの音楽活動に、只々感心するばかりです。
 そう言えば、昨年、今年と来日された前セントジョンズカレッジ指揮者ジョージ・ゲスト氏は講習会の席で日本の合唱団メンバーに対し、「新聞を読むように楽譜が読めなければならない」としきりに仰っていました。これには「それほどスラスラと音符が読めなければならない」という意味と共に「新聞の文字の裏にある意味や真理を読み取るように、楽譜に込められた意味や真理を瞬時に読み取らねばならない」という意味が含まれていると私なりに理解いたしましたが、実際に聖歌隊メンバーの演奏活動を目の前にした時、40年間に渡って聖歌隊を指導された氏の言葉として、あらためてその重さを感じます。

 こうして、日本流に言えば「小学校から大学卒業時」まで、実に豊富で中身の濃い合唱活動を連日続ける彼等ですが、その中からは皆様よくご存じのように、たくさんの優秀なアンサンブルグループや合唱指揮者が生まれ、イギリスの、そして世界の合唱界をリードし続けています。そして、それらの「音楽の現場」に少しでも多く立会い、その土地に暮らしながら、それらが育った土壌・文化に触れてみたい、ということが私の「イギリス遊学」の大きな目的の一つでもありました。

さて、9月下旬にイギリス入りしてからは、ケンブリッジ大学のチャペル礼拝に通うことを日課とし(当然、大学休暇中は聖歌隊もお休みですが)、主にキングズ、セントジョンズ、トリニティの演奏を聴き続けております。(キングズとセントジョンズは開始時間に差がある為、『ハシゴ』が可能) 常に指揮者から2~3mの位置に座って聴いておりますが、新年度から8カ月余りたち、それぞれの聖歌隊にもはっきりとした変化が見られ益々楽しみです。
 ゾクゾクするような感動の演奏にも何度か出会いましたが、一切の拍手も無く、そして時には参列者が数名しかいないような礼拝の中で、只々、神を賛美し、信仰の証として一心に歌う彼等の姿に、音楽を志し、音楽する者の原点を見る思いがいたします。
 イギリス国内の地理や交通機関を少し理解し始めた頃からは、 時折ケンブリッジを離れ、ロンドン市内やオックスフォード、ウィンチェスター、ヨーク、カンタベリー……など、一人で英国教会やカトリック大聖堂の聖歌隊や合唱演奏会巡りをしておりますが、これからは、少しずつイギリス国内から大陸へとその歩みを進めていきたいと思っております。

 さて、今回は音楽観光案内のようになってしまいましたが、いま私が暮らしている環境はおわかり頂けたことと思います。このような中での私自身の音楽活動に関しましては、次回詳しくお伝えしたいと思います。

少し余談になりますが……。先月1カ月、一時帰国をし、久しぶりに日本のいろいろな合唱演奏に触れました。たかが7カ月のイギリス滞在、と高をくくっておりましたが、あれ程慣れ親しんできた筈の「日本の合唱団の音」「日本の作品」の数々に対して、これまでと全く違った思いを抱きました。長い海外生活や多くの海外経験をお持ちの先生方からは、「そんな事当たり前だろう!」というお言葉を頂戴しそうですが、予測はしていたもののこれ程までとは思いませんでした。
 親元を離れて初めて迎えた高校1年の夏休み。3カ月ぶりに帰った懐かしい筈の故郷の家は、以前と違って見えました。壁の色が、部屋の大きさが、いすの配置が、電灯の明るさが……。さほど変わっていない筈なのに、暫くの間、戸惑いと共に新鮮さを感じました。しかし帰省を2度3度と重ねるうちに、何も変わらなくなりました。
 今の気持ちは、多分この初帰省の時と同じでしょう……と、なると、この思いはもう2度と現れないかも知れません。私の拙い文章でこの思いを皆様に正確にお伝えすることは不可能でしょうが、一生に一度しか無いかも知れないこの心の動きを、私なりの言葉でしっかりと書き留めておきたいと思います。
 そして、いつかゆっくりと美味しいお酒でも飲みながら、夜を徹してポツリポツリとお話させて頂きたいものです。 どなたかお付き合い頂けますか? ━ところでどのお酒を飲みながら?━それは当然、1パイント入りの生暖かいエイルでは無く、キリリと冷えた日本酒でしょう……!!

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